もりもと整形外科院長: 2011年12月アーカイブ
出来事から 2011年も終わり
我がサッカー史 初めての海外遠征帯同
初めての海外遠征。インドネシア、メダン。
日本リーグで優勝した古河電工チーム主体の日本代表Bチーム。
昔は、A代表、B代表、選抜代表チームというのがありました。
マラハリムカップ 1977年(昭和52年) 3月15日~4月6日
台北、香港、そしてシンガポールに一泊。翌日メダンへ。
もちろん、エコノミークラスです。
現役時代メキシコオリンピック、銅メダルを獲得された時の
メンバーです。
競技場は、独特のタバコの匂いとその煙さらにナイター照明が
暗くてグランドが見えにくかった記憶があります。
聞こえます。町中に響く回教徒のお祈り。慣れたら問題
ありませんが、しばらく気になりました。
1977年のメダン市内。
この場所は、きれいな町並みですが少し行くとジャングルでした。
チーム専用車(ベンツ)と運転手 人懐っこい。クーラーなし。
冷却水として写真左下の小川から汲んだ水をラジエーターに入れていた。
ベンツは、大丈夫とのこと。さすが、ベンツと思いました。
ホテル(国民宿舎)には、今で言うエアコンはなくクーラー(冷房のみ)。
約1ヶ月、喉の痛みと軽い咳が続きました。
しかし、選手とのコミュニケーションがとれて、今後の古河電工
チームドクターとしてのスタートが切れたことが成果でした。
選手、監督(コーチ)、チームドクター(トレーナー)の三角関係