もりもと整形外科院長: 2011年11月アーカイブ
私が撮ったフォト 診療所の周りには
我がサッカー史 対北朝鮮 ② 26年前
平壌空港。バスに乗って市内へ。
空港から市内へ。のんびりしています。
写真には写っていませんが、牛を使って田を
耕していました。昭和20年代の風景に戻った?
空港から市内へ行く途中には兵隊が必ずいました。
トロリーバスです。車はほとんど通っていません。
学生は必ず整列して歩いていました。
平壌冷麺を皆で食べに。もちろん、試合後です。
冷麺のルーツは、北朝鮮。
ボリュームたっぷり。美味しかったかどうかは覚えていません。
試合後早めの帰国を断念し、戻されたため本来の決まった
行事でしょうか運動会のような場所へ連れて行かれました。
対戦国通りにスケジュールに合わせないといけなかったようでした。
11月15日(火)午後4時からW杯ブラジル大会予選
対北朝鮮(平壌) 生中継 結果は 0:1
火曜日の外来は混雑もなく、テレビ観戦ができました。
責めて引き分けを願っていましたが。
我がサッカー史 26年前 W杯アジア予選 北朝鮮 ①
11月11日 W杯ブラジル大会3次予選、対タジキスタンに勝利。
15日の対北朝鮮アウエイ戦を前に来年の最終予選進出が決定!
1985年(昭和60年)
W杯メキシコ大会アジア1次予選対北朝鮮アウエイ戦に帯同。
故森監督、岡村コーチ、ドクター森本、トレーナー妻木。
ソ連製のプロペラ機に搭乗。(北京から)
平壌ホテルの前で。妻木トレーナーと。
当時の帯同は、ドクターとトレーナー各1名であった。
平壌ホテルの前で記念撮影。主将は、加藤久選手。
職員は、日本語を話します。100円のジュース自動販売機もありました。
金日成競技場(平壌)
試合前日、練習前のミーティング。
故森監督、岡村コーチ。
とんでもない人工芝。事前に情報は入っていましたが。
コンクリートの上に敷いてあるだけの人工芝。翌日の試合が不安。
試合当日。不安そうに見つめています。
観衆、8万人。人民服で黒ずくめ。異様でした。
試合後半始まってすぐに木村和司選手、頭部外傷。短時間意識喪失。
ベンチに戻らず控え室でずっと看病。
試合後、国際病院に1日入院。ドクターはもちろん、ナースも日本語がぺらぺら。
そのほかに負傷者がいたため、早めの帰国を希望するもかなえられなかった。
記憶に強く残った帯同であった。
出来事から 高校サッカー選手権県決勝
土佐高、優勝。
あっという間の1年。昨年は、明徳対高知商業。
今年は、夏のインターハイにも出場した土佐高対高知商業
テレビ生中継に合わせます。雨の中、待たされました。
春野陸上競技場 医事運営。医務室から。
後半ロスタイムに決勝点。1:0.
疲れたという感じ。
負けた高知商業、GK。しばらく立ち上がれなかった。
優勝した土佐高校。高1,2が主体。
よくある質問
2名の中学生から。指導者からプロテイン(サプリメント)を
摂ったらどうかと言われた。
1日に3回、肉や乳製品を含む一般的な食事をすればまず
不足することはありません。
まずは食事。成長過程では食べることで味を覚えたり、噛み
飲み込み、消化され、身体に取り込む力をつける。