11月11日 W杯ブラジル大会3次予選、対タジキスタンに勝利。
15日の対北朝鮮アウエイ戦を前に来年の最終予選進出が決定!
1985年(昭和60年)
W杯メキシコ大会アジア1次予選対北朝鮮アウエイ戦に帯同。
故森監督、岡村コーチ、ドクター森本、トレーナー妻木。
ソ連製のプロペラ機に搭乗。(北京から)
平壌ホテルの前で。妻木トレーナーと。
当時の帯同は、ドクターとトレーナー各1名であった。
平壌ホテルの前で記念撮影。主将は、加藤久選手。
職員は、日本語を話します。100円のジュース自動販売機もありました。
金日成競技場(平壌)
試合前日、練習前のミーティング。
故森監督、岡村コーチ。
とんでもない人工芝。事前に情報は入っていましたが。
コンクリートの上に敷いてあるだけの人工芝。翌日の試合が不安。
試合当日。不安そうに見つめています。
観衆、8万人。人民服で黒ずくめ。異様でした。
試合後半始まってすぐに木村和司選手、頭部外傷。短時間意識喪失。
ベンチに戻らず控え室でずっと看病。
試合後、国際病院に1日入院。ドクターはもちろん、ナースも日本語がぺらぺら。
そのほかに負傷者がいたため、早めの帰国を希望するもかなえられなかった。
記憶に強く残った帯同であった。